【母親との記憶】デトックスしたら色々起きた話④
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【身体の変化シリーズ】
【身体が資本】【自分を整える】Detoxして、ほんといろいろ起きた話① - Always be myself :)♡
【detoxしたら色々起きた話②】 【体の変化、けっこ―すごいよ】 - Always be myself :)♡
【ココロの変化シリーズ】
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デトックス中っていろんなこと思い出します。
お父さんと公園でサッカーしたこととか、授業参観でお母さんが来てくれたのが嬉しくてめちゃくちゃ手を勢いよくあげてたこととか。過去のこと。
デトックス中に、からだや栄養や、医療とかについての勉強会みたいなものに参加できたので、興味あるものにちょこちょこ参加したりしていました。
そこで、毒素について学ぶときが何回かあって。
添加物とか、水とか、シャンプーとかの経費毒とか。
その中で、母とかの記憶がけっこうでてきました。
今思うと、うちの母親ものすごく健康とかに気をつけてたんです。
無添加のものなるべく買っていたし、製品表示や現在表も必ず目を通していました。
スーパーのお惣菜コーナーなんか買わないで、ぜんぶ自分でつくってくれたし、
カップラーメンやレトロト食品も、お菓子も食卓にはでてきませんでした。
母親がつくるご飯が、どんな高級な外食、お寿司や焼き肉より「おいしいな」って本当に思っていました。
誕生会とか、テストの点数良くて外食行くことになっても、なんだかんだ、お母さんのつくる、筑前煮や切り干し大根、レンコンのもちもちハンバーグとかのがおいしいなあ結局思ってしまうのです。
毎日お弁当も朝5時に起きてつくってくれたし、
走るのだいすきで、クラスとかもさぼって練習してるくらい陸上ばかな私を、
「アスリートのための食事」とかいう本みたりしながら色々食事を気にかけてくれていました。
お水もちゃんとミネラルウォーター買っていたし、シャンプーも経費毒がないような無添加のものを選んでいました。
今まで忘れてたけど、自然と思いました。
母親すごいなあって。
私や家族の健康を守ることにめちゃくちゃ頑張ってくれてたんだなあって。
愛情表現をするのが苦手な母だったけど(えらそうでごめんw)、
ちゃんと私を愛してくれていたんだなとも思いました。
実は、親との関係を改善するも、今回のデトックスの目的でした。
なんだかんだ親ってすべての基盤です。
自分の土台がもろいまま走り続けて、まわりを固めて、鎧をつけたしていっても意味がない。
いざというときに、土台がもろいと、囲いが強くても崩れます。
これまで嫌というほど味わってきました。
でも、わかっているけど、なかなか向き合いきれなくて、、、
逃げてきていました。
でもやっぱり思ったんです。
逃げてたら、結局どこかで自分の課題に引き戻される。
私は今の仕事も大好きだし、もっともっと自分も高めて、人のサポートをしていきたいから、まずは自分と自分の課題にむきあわなければと思っていました。
デトックスすることにした理由の1つはここです。
親との関係も含め、自分の土台をしっかりして、ぶれない自分をつくってからこそ、本当の意味で人のサポ―トはできると。
本当はデトックス終わってから、親に会いに行こうと思っていました。
でも、これまでを振り返ると、いつもなんでもかんでも問題を先送りしつづけていました。
なので、今回は先送りせず、「今」取り組もうと思い、なんとなく、直感がはたらき、デトックス3週間目の週末に久しぶりに実家に帰ることにしました。
実家に帰るといつも通り、母親がお小言をいってきました。
でも超不思議なことにいつもなら、その一言にイラっとして、けんかしてたのに、
なぜか「かわいいな」と思っちゃたんですよ。
これはかなりかなりかなり衝撃的でした。
今までけんかするくらいなら帰りたくないと思ってたような実家です。
年末くらいしか帰っていなかったし、オーストラリアから帰国しても居心地悪くてずーーと避けて、家出少女かのように、本当に友達のもとを渡り歩き、父親にも心配をかけてきました。
父もあきれめぎみで、「けんかするくらいなら、外でてても仕方ないか」みたいな感じでした。
だから、実家に帰ってもイライラせずに、
ゆったりと過ごせることが、本当に不思議で。
そしてこれは、本当に自分のなかで意味ある事でした。
今度から1か月に1回くらい実家に帰ろうと思いました。(実行しています)
実家に帰って写真集めてたら、母親がものすごく美人だったw
そして笑顔だった。
とっても快活そうで、いま精神的に落ち着かず引きこもり気味で白髪の生えた母とのギャップがすごかったです。
写真をみながら、母は、「母としての使命」を果たすのに必死だったんだろうなとも思いました。
どこかで「子供産む気なんてなかった」とか小さい私になぜかいってきたり、
父親としか遊んだ記憶がないことだったり、
自分の小学校に学童がないから、
わざわざ隣の小学校の大大大嫌いな学童に連れられていったり
(しかも専主婦なのに)
みたいな記憶があって、
「母って子育てたしたくなかったんだろうな」
「私って生まれてほしいと思って生まれてきたわけじゃないんだ」と勝手に思いこんでいました。
だけど、一緒にうつっている写真をみると、母は本当に笑顔で、かわいくて、(笑)
「私のことが嫌い」「子育てしたくない」みたいな人がしている表情には1ミリも見えませんでした。
笑っていて、本当にしあわそうでした。
ちゃんと愛してくれてたんだなあ
なんで嫌な記憶に固執しているのだろう
と思いました。
「母」も「人間」なので、色々大変な時期もあったのだろうけど、
それでも必死に「人間」として、「母」として生きていたし、少し未熟な部分もあったのだろうけど、それも、母という1人の「人間の一部」なのだと思いました。
「母だから、、、こうあるべき」ではなくて、
たまに精神的に落ちたり、子供ぽかったりする母のかわいいなあと思いました。
勝手に、過去の病気を母との関係のせいにしていたり、
病気が治ってからもどこか「許そう」と「無理やりに」言い聞かせていたのが、
「受け入れる」に変わった瞬間でした。
↓ 過去に抱えた病気とこころの変化。